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そして、今。埼玉自動車交通は、これまでの半世紀の歩みを止めずに、皆さまが快適に目的地へたどりつけるよう、今日も安全と安心を掲げて走っております。
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沖縄返還や大阪万博、パンダの来日など日本の歴史に色濃く残る出来事が多かった1970年代。当時は上級仕様とも呼ばれていた三菱自工製の高床モデルのハイデッカー車を導入しました。
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弊社最大保有数50両あった昭和60年代。少人数のお客様にもバス旅行を楽しんでいただくために昭和60年日野中型バスを導入いたしました。
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昭和63年三菱自工製のスーパーハイデッカー車を導入しました。眺めの良さに加え、後輪を2軸にした3軸車で安定性の良い走りで弊社の活気あふれる時代を支えてくれました。
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昭和から平成へと移り変わり、消費税が施行された平成元年。三菱自工製のエアロバスクイーンを導入しました。
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宇宙飛行士毛利衛さんが初の宇宙へ出発やバルセロナオリンピック開幕による日本人の活躍があった平成4年。日野のスーパーハイデッカーを導入いたしました。
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日野マイクロバスをベースに作られた日本唯一の“機関車バス”は平成8年に導入されました。汽笛を鳴らすこともでき、走ると多くの子供が手を振ってくれる人気のバスでした。
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犬型ロボットアイボなどロボット技術が身近になった平成11年。日野セレガを導入いたしました。
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平成8年日野RU4FSCを導入しました。当時は珍しいピンクの目を引き、女性に人気のあるデザインでした。
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荒川静香選手がアジア選手として五輪フィギュア史上初の金メダルを獲得したトリノオリンピックが開催された平成18年。日野RUIESAを導入いたしました。
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東京スカイツリーからの本放送開始や出雲大社と伊勢神宮が揃って遷宮を行った平成25年。日野RUIASCを導入いたしました。
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そして、今。埼玉自動車交通は、これまでの半世紀の歩みを止めずに、皆さまが快適に目的地へたどりつけるよう、今日も安全と安心を掲げて走っております。
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沖縄返還や大阪万博、パンダの来日など日本の歴史に色濃く残る出来事が多かった1970年代。当時は上級仕様とも呼ばれていた三菱自工製の高床モデルのハイデッカー車を導入しました。